より良い金融システムへ向けて

包摂的な繁栄のための経済学(EfIP)政策要綱2

Never Too Late To Mend
38 min readApr 2, 2021

経済学者のネットワーク「包摂的な繁栄のための経済学(EfIP:Economics for Inclusive Prosperity)」に掲載された“Towards a Better Financial System”という政策要綱の翻訳です。以下、訳文です。

包摂的な繁栄のための経済学

研究要綱 | 2019年1月

より良い金融システムへ向けて

アナト・R・アドマティ*

金融システムは脆弱で歪んでいる。なぜなら、現在のルールは、銀行機関が過剰に借り入れをして不透明なままにしておくという歪んだインセンティブに対抗することができないからである。債権への依存を減らし、金融機関が顕著に多くのエクイティを使用することを確実にするように適切に設計されたルールによって、金融システムが社会により良く役立つことが可能になるだろう。現在では(金融システムに提供されている広範なセーフティネットと相まって)危険な行為を助長しているような逆効果の税法および破産法の改正も有益だろう。

はじめに

健全で安定した金融システムにより、効率的な資源の割り当てとリスクの共有が可能になる。しかしながら、無謀で歪んだシステムは、巨大な被害をもたらす。銀行と金融を繰り返し悩ませる好況、不況、危機のサイクルは、深刻なガバナンスおよび政策における失敗の症状である。長年にわたる金融危機と司法を研究しているラインハートとロゴフ(Reinhart and Rogoff, 2009)は、危機は予防可能であるが、政府自身が問題の一部である(政府が自身の財政の扱いを誤っており、借り入れ過ぎているために、あるいは、政府が家計や企業による無謀さを阻止できないために)、と結論付けている。

2007~2009年の金融危機以降の規制改革への取り組みにもかかわらず、変化はほとんどない。金融システムを監督するルールは、複雑で不十分なままであり、時には逆効果である。このシステムを改善するには、問題の適切な診断、および、より良いルールとより大きな説明責任を作り出すための政治的意思が必要である。

2008年9月のリーマン・ブラザーズの破産は世界中に大きな波及効果をもたらし、その後、数億人に影響を与える深刻な不況が続いた。2007年に住宅価格が下落し始めたとき、巨大な債務を抱えた米国の住宅所有者は住宅ローンの債務不履行を開始し、グローバルな金融システムの大きな脆弱性と、過度のリスクの蓄積を防ぐために定められていたルールの失敗とが露呈された。

金融危機へ向かう段階における住宅ローンの債務不履行は、世界経済に比べると規模が大きいものではなかった。それにもかかわらず、銀行や他の金融機関における短期債務による資金調達の広範な使用、これらの金融機関が取ったリスク、およびシステムのかなりの複雑さ、不透明性、相互接続性のために、この債務不履行は大規模なグローバル危機をもたらした。リスクの高い資産の損失を吸収できるエクイティ資金がほとんどなかったため、多くの金融機関は行き詰まるかあるいは支払い不能に陥り、伝染とパニックを引き起こした。メルトダウンを防ぐために、中央銀行と政府は金融システム、特に最も大きなグローバルな銀行に途方もない支援を提供することとなった。

FDICからの広範な保証、連邦準備制度からの数兆ドルの貸し付け、および不良資産救済プログラム(TARP)を通じた米国政府による数千億ドルの直接投資により、ほとんどの米国の金融機関は債務不履行をせず、危機から素早く立ち直った(Tooze, 2018)。銀行は、住宅ローン詐欺やその他の不正行為のために過去10年間で3000億ドル以上の罰金が科されたにもかかわらず、非常に収益性が高くなった。しかしながら、家計はその後の不況に苦しみ続け、重くのしかかる住宅ローンの負債と多数の​​差し押さえによってさらに悪化した(Mian and Sufi, 2014)。

金融システムの脆弱性と非効率性の主な原因は、銀行や他の機関による債務での資金調達の過剰な使用である。社債の税制上の扱いと、銀行が享受しているさまざまな明示的および黙示的な保証は、逆に無謀なリスクテイクおよび借り入れを奨励し、それに報いてしまっている。金融機関の資金構成の効果的な規制は、金融規制における最大の「掘り出し物」の1つであり、実質的に関連費用なしで多くの重要な利点をもたらす。それは、他のもっと複雑な規制よりも著しく低いコストで、市場の失敗を直接的に修正するだろう。代わりに、現在の規制は不十分であり、その欠陥のある設計はシステムに追加の歪みとリスクを作り出している。

現在において金融の安定性を損なっている税法および破産法の改正と組み合わせることで、銀行機関がより多くのエクイティに依存することにより多くのメリットがもたらされ、金融システムが不必要なリスクや損害を発生させることなく経済により良く役立つことが可能になるだろう。より多くのエクイティは、銀行家と公衆との間の利害の対立の強さを減少させるとともに、このセクター、特に最大規模の機関が非効率なまでに大きく成長し、不透明で統制が行き届いておらず、危険なままにとどまる能力とインセンティブも低下させるであろう。

このエッセイでは、私はまず、企業の資金調達の基本的な経済学と、銀行の資金調達に関する適切に設計された効果的な規制が非常に有益である理由とについて議論する。次に私は、システムを改善する方法について指摘し、この政策論議をより広範なガバナンスと政治的文脈に置く発言で締めくくる。[1]

企業の資金調達と銀行の「特別さ」

企業は、自らの投資に資金を調達するための多くの方法を持っている。借り入れに加えて、収益性の高い企業はその利益を再投資したり、新しい株式を発行したりできる。株主は、自身の株式の価値の低下を通じて損失を自然に吸収する。もしある企業が債務不履行に陥ったり、その債務を支払うのに十分な資産がなかったりした場合には、支払い不能状態となる。支払い不能状態は通常、破産プロセスへとつながり、少なくとも債権者は全額支払われないこととなる。

政府は通常、企業の資金調達の構成を規制しない。ほとんどの企業は、貸し手を見つけることができる場合であれば、自身が望むだけ借りることができる。ローンの条件は、企業債券の私的または公的な市場における貸し手との交渉を通じて設定される。米国を含む多くの政府は、企業が債務に対して支払う利子を控除可能な費用とみなしているため、企業は借り入れにより税金を節約することができるだろう。この税制上の優位性にもかかわらず、銀行以外の健全な企業がエクイティによる資金調達を資産の30%未満とすることはまれであり、多くの繁栄している企業はほとんど借り入れをしていない。利益剰余金はしばしば、投資家への証券の新規発行を必要としない好ましい資金調達源となる。

多額の借り入れには暗い側面がある。[2]第1に、それは破産の可能性を高め、破産は法的費用と混乱によって資産を枯渇させてしまう。第2に、それは、投資と資金調達の決定に関して、借り手(企業の場合は株主)と貸し手との間の基本的な利害の対立を強める。借り手は、取ったリスクの良い面から完全な利益を得る一方で、リスクの悪い面を貸し手と分かち合うため、この対立が生じる。負債のある企業の経営者と株主が下した決定は、債権者に損害を与える可能性があり、さらには、すべての投資家にとっての企業の統合された価値を減らすことにより非効率になるかもしれない。

具体的には、ひとたび債務が発生すると、企業の決定は一般に、追加の借り入れとよりリスクの高い投資を優先するように、そして、負債を減らすか、十分なアップサイドがないものの価値がある投資を行わないように、バイアスがかかる。債権者は、債務不履行、破産、自身の利益を損なう非効率的な投資の可能性を予測して、より高い利息を要求するとともに債務契約に条件を設けることによって自身の身を守る。したがって、苦しんでいる企業は、望ましい条件の下で追加の投資に資金調達をすることが難しいと感じている。さらに、特に債権者が細分化している場合には、すべての投資家に利益をもたらすであろう価値のある投資を制限することなしに、過剰な借り入れとリスクテイクを防ぐような債務契約を作成して執行するのは費用がかかる。[3]

銀行の資金構成は他の企業とはまったく異なり、ほとんど完全に債務と非常に少ない株式で構成されている。資産と比較してわずか3%以下の自己資本であっても(そして実際の債務をさらに重くするであろう問題のあるいくつかの指標があっても)、銀行は株主への支払いを行い、極端に高い債務を維持し、さらなる投資の資金調達のために借り入れようとする。

銀行はエクイティがほとんどなく、債務の多くは預金と短期のローンで構成されている。それらはすぐに引き出すことができるため、わずかな損失でも債務不履行や支払い不能状態を引き起こす可能性がある。もし預金者または他の貸し手が潜在的な債務不履行に懸念を抱き、銀行に対する信頼を失った場合、彼らは他の人よりも先に支払われるようにするために(おそらくはパニックになって)資金を引き出すだろう。実際、支払い不能状態に対する懸念は、銀行が「流動性の問題」に陥り、取り付け騒ぎやパニックに苦慮し、資金を失う、または支援が必要になる主な理由である。より多くのエクイティを保有することで、銀行が支払い能力の問題に陥るリスクを減らすことができるだろう。資産が簡単に現金に変換できないために生じる純粋な流動性の問題は、中央銀行が債務不履行を防ぐために銀行に貸し出す準備ができているため、通常は銀行の債務不履行を引き起こさない。

預金と短期ローンは、現金に簡単に変換できるという能力から利益を得る。しかしながら、この「流動性の利益」は、銀行にとって大きな債務とわずかなエクイティが効率的であることを意味するものではない。それどころか、アドマティとヘルビッヒ(Admati and Hellwig 2019)が議論しているように、政府の何らの介入も伴わない自由放任型の銀行市場の結果は、銀行の債務の流動性の利益を危うくするような非効率的で高い債務不履行の可能性を伴う過剰な借り入れを含むものとなる。[4]より多くのエクイティを必要とする規制は、銀行が、自由放任主義の結果として生じるであろう過剰な借り入れの誘惑を回避するような、有益なコミットメントを生み出すのに役立つ。

個々の機関、または同時に多くの機関が行き詰まるか支払い不能状態になり、場合によっては債務不履行になった際にシステムや経済に対して付随的な損害が与えられるような場合には、規制の必要性はさらに強くなる。アドマティら(Admati et al 2018)が調査したように、債務保証は、企業の巨額の債務に関連して、借り入れに対する「中毒」をあおり、それを可能にする。預金者は受け身であり、彼らの債権は担保によって裏付けられていないため、銀行は、規制当局によって停止されない限り支払い不能状態であっても借り入れをしてリスクを取り続けるだろう。さらに、銀行には、既存の債権者または納税者を犠牲にして恩恵を受けるために、債務の満期を繰り返し短縮するインセンティブを有するが、ブルナーマイヤーとオームケ(Brunnermeier and Oehmke 2013)は、これのことを「満期のラットレース」と呼んでいる。

たとえば、銀行は、預金者の資金で購入した一部の資産を、預金よりも優先度の高い追加借り入れの担保として使用できる。[5]預金は、特に不動産担保証券を購入するために使用されることがあり、この不動産担保証券が今度は「売却および買戻し契約」(「レポ」)取引を使用して有利な条件でより多くのローンを取得するために担保とされる。そのような取り扱いは、現在の破産法の下では優遇措置を受けており、より魅力的になっている。しかしながら、これらの戦略は、社会にとっての成果を改善するのではなく、既存の債権者と納税者を搾取し、危険にさらす。[6]

「エクイティは高くつく」という銀行業の決まり文句は、私的なコストと社会的なコストの間の重要な区別を行うことを怠っている。より多くのエクイティを使用する銀行の「コスト」は完全に私的なものであり、他人を犠牲にして利益を得ることができなくなってしまう少数の個人によって負担される。社会の観点から見ると、銀行があまりにも少なすぎるエクイティしか持たないことが高くつく。したがって、銀行の「特別さ」とは、銀行が現在そうであるような非効率さと無謀さの罰を何ら受けないで済むことが許されているということだ。[7]

政治経済、混乱、そして故意の盲目は、金融セクターがその特権を維持し、有益な規制を妨げることができる理由を理解するための鍵である。銀行と政府の間の共生関係は、多くの形態の束縛を生み出す(Admati, 2016)。イリノイ州選出のダービン上院議員は、金融危機の直後の2009年に、連邦議会に言及して、銀行が「いまだにこの場所を所有している」と断言することでこの状況を捉えた。現状維持から利益を得る人々は、誤解を招くような物語によって議論を混乱させることができる。

非常に有益:エクイティをより多く、債務への補助金をより少なく

銀行のセーフティネット(中央銀行、預金保険、および黙示的な保証の形態で)の拡大の前は、銀行は近年のものよりもはるかに高いエクイティのレベルを維持していた。たとえば、19世紀におけるパートナーシップでは、エクイティはしばしば銀行の資産の50%を占めていた。オーナーは有限責任により保護されてはいなかったため、もし銀行の資産が不十分な場合には、預金者はオーナーの個人資産に頼ることができた。20世紀初頭には、総資産の20%または30%のエクイティレベルが一般的であり、米国では預金保険が確立されるまで株主は2倍、3倍、または無制限の責任を有していた。セーフティネットが拡大するにつれて、預金者やその他の債権者の懸念は減り、銀行の株主と経営者はエクイティをはるかに少なくすることを選択し、インセンティブに対抗するための規制なしでそうすることができた。

金融システムはここ数十年でより複雑で不透明になり、また多くの先進国の経済に比べて大きくもなっている。証券化とデリバティブ市場の成長により、さらに多くのリスクの共有が可能になったが、それにより、機関がより多くのリスクを取り、利害関係者からそれらを隠すことが可能にもなった。[8]規制当局は、「貸借対照表外」に隠されたり、いわゆる「シャドーバンキングシステム」の事業体の中に隠されたりして、危険な状態で積みあがったリスクを無視した。金融セクターおよび最も大きな金融機関の成長は、実体経済への投資ではなく、大部分はセクター内での取引によって駆動されている。[9]2007~2009年の金融危機は、この大規模な規制の失敗の「意図しない結果」となった。規制が不十分であったというだけでなく、その貧弱な設計は歪みを生じさせ、その歪みがシステムの脆弱性を増大させ、問題を悪化させた。たとえば、規制当局が完全に安全だと考えていた投資によって、金融機関は大きな損失を被った。

危機の後、規制当局は改革をしようと試みたが、彼らは完全な教訓を学ぶことができず、全体的なアプローチを踏襲するように進み、歪んだ脆弱なシステムを容認し続けた。たとえば、厄介な問題の1つは、特に複雑なデリバティブと貸借対照表外のコミットメントの文脈における債務の測定である。会計ベースの測定およびリスクに対する要件を調整しようとするためのリスク重みづけの使用により、規制当局による測定は、いかなる機関の真の強さを示すことにおいても全く情報を与えないものとなっている。[10]

アドマティとヘルビッヒ(Admati and Hellwig 2013a, Chapter 11)およびアドマティ(Admati 2016)は、規制に関する問題を要約し、改善とより良いシステムへの移行を提案している。たとえば、20人の著名な経済学者(Admati et al, 2010)は、2010年のバーゼルIIIの国際協定で必要とされる総資産に対するエクイティの比率3%と比較して、少なくとも15%を推奨している。[11]

より多くのエクイティがあれば、損失を被った後でも、銀行は支援を必要とせずに経済に役立つためのより良い立場にあることだろう。また、銀行が流動性の問題や取り付け騒ぎを経験する可能性も低くなるだろう。さらに、機関がより多くのエクイティによる資金調達でもって運営されている場合、資産の価値の損失はエクイティのごく一部であるため、不良資産の売却(またはいわゆる「投げ売り」)の必要性は低くなる。さらに良いことに、一方では銀行経営者と株主との間の利害の対立の強度を軽減することにより、また、他方では銀行の貸し手と納税者との間の利害の対立の強度を軽減することにより、より多くのエクイティを持つ銀行は、過度で非効率的なリスクテイクや価値のあるローンへの過少投資などといった融資決定の歪みに苦しむことが少なくなる。

より高いエクイティ要件への移行を実施する最も簡単な方法は、銀行がより良く資本化​​されるまでエクイティへの支払いを禁止することであり、一部の役員報酬は現金ではなく新しい株式の形で提供することさえ要求することである。規制当局にとっては、毎年最小限の量の新規のエクイティの発行を義務付けることも有用かもしれない。エクイティにより資金調達できない銀行は市場ベースのストレステストに失敗しているとみなされる。不透明すぎたり、支払い不能状態であったり、または規模が大き過ぎて非効率的であったりするためにエクイティ発行ができない機関は存続すべきではない。

規制当局は、市場テストに頼る代わりに、いわゆるストレステストを使用して、銀行が十分に安全であることを自分たち自身や一般市民に安心させている。これらのテストは、合格するためのベンチマークが不適切に設定され、多くの強烈な仮定に基づいている。さらに、それらは実際の危機(それは予期しない方向から来るかもしれない)において相互接続されたシステムの市場の力学を予測することができない。その結果、それらは誤った安心感を与えている。

また、より多くのエクイティは、しばしば「トゥー・ビッグ・トゥ・フェイル(大きすぎてつぶせない)」と言われる、最も大きな「システム上重要な」機関の特権と並外れた力を減らすための最も簡単で最も単純な方法を提供してくれる。これらの機関は、実に巨大で、複雑で、不透明で、数兆ドルの資産があり、貸借対照表外にはさらに大きなエクスポージャーを抱えており、そして世界中の多くのさまざまな場所で無秩序な事業を行っている。

救済措置を避けると誓うこと(規制当局と機関自体が好むアプローチ)は、機関が、支援を必要とせず、莫大な付帯的損害を引き起こすことなく「倒産」させることができると国民に確信させることである。このアプローチには多くの点で欠陥がある。第1に、追加のエクイティが明白な予防手段として機能し、倒産の可能性を減らすであろうのに、そのアプローチは金融システムにおけるアウトブレイクの扱いに焦点を合わせている。第2に、当局が債権者に損失を課すであろう「倒産」シナリオの引き金を引くまさに適切な瞬間を知っており、そうするプロセスがリーマン・ブラザーズの破産のような波及効果を引き起こさないだろうという考えは信用できない。実際、多くの機関が破綻または破綻間近であるような危機の際、問題に対処するプロセスの付帯的損害は相当なものになるだろう。

エクイティは、これらの補助金を削減すると同時に、システムの健全性と安全性を向上させる、最も単純で、最も信頼性が高く、最も有益な方法である。アップサイドから利益を得る権利を持ち、複雑で費用のかかるトリガーを経ることなく損失を吸収する株主は、リスクを負うことに関する最も明白な候補者である。

最も大きな機関は当局によって解体されるべきであるという提案は、これらの機関の規模、複雑さ、無謀さが市場や規制の失敗の症状であることを認識していない。エクイティをより多くすることは、費用のかかる失敗の可能性を減らすことに加えて、適切に行われれば、最も大きな機関が自然に分解するような、エクイティ投資家からのより大きな市場圧力をもたらす可能性が高い(1980年代と1990年代に大きなコングロマリットが分解したのと同様に)ために、有用なものである。さらに、1980年代の貯蓄貸付組合危機や他の多くの銀行危機に見られるように、多くの小規模銀行の破綻は、同じくらいの混乱と損害を引き起こし、救済措置につながる可能性がある。したがって、多くの小規模ではあるが過度に脆弱な機関が同様のリスクを負い、同時に破綻する可能性が高いシステムでは、予防可能な問題が発生することがある。

また、銀行とその経営者にとって有益なものと社会にとって最善なものとの間に大きなギャップを作ることにより、金融システムをより脆弱にし、銀行業の安全規制をより難しくするような、2つの逆効果な法律を変更することも重要である。第1に、エクイティによる資金調達よりも債務による資金調達が有利になるような利点を無効化するために、税法を変更しなければならない。銀行がより多くの税金を払うことになっても、税金は国民を代表して政府が使用するため、これは社会へのコストを意味しない。税の効果は、銀行が支払う税金にほとんど影響を与えないようにバランスを取ることもできるが、それは過剰な借り入れに報いることのないような方法にする必要がある。[12]

エコノミスト誌(2015年5月15日)は、債務に対する補助金を「世界経済における巨大な歪み」と呼んだ。税法上の住宅ローン債務への補助はほとんど意味がなく、実質的になんらの経済的正当性もない。そのような補助金は持ち家の所有を支えると言われているが、家を買うための借り入れにのみ報いるために、家計や経済の脆弱性が増大し、債務の過剰使用による害へとつながる(Mian and Sufi, 2015)。もし家の所有が政策目標であるならば、家を購入する際の頭金(エクイティの部分)に対して税額控除を提供するなど、それを奨励するより良い方法が存在する。[13]

エクイティによる資金調達よりも借り入れを奨励するような逆効果な税法に加えて、数十年前に制定され、2005年に改正された破産法は、破産における債権者の行動を規定する通常の規則から特定のレポ契約およびデリバティブ契約を免除している。拡張された「セーフハーバー(免責)」条項は、金融の安定性を高める方法として推進されたが、その逆に、それはより脆弱な資金調達を可能にし、あるいは奨励し、金融危機中により大きな混乱を引き起こした。それはさらに、特定の利害関係者(通常は他の金融機関)に対して、他の貸し手を超える特別な特権を提供する。これらの問題にもかかわらず、逆効果な法律は変わっていない。[14]

巨大な銀行も非常に不透明なままであり続けている。[15]また、それらの無謀さは、無数のスキャンダルと詐欺やその他の不正行為に対して日常的に支払っている数百億ドルの罰金でも明らかである。規則の回避は長期間表沙汰にならず、最終的には「ビジネスを行うためのコスト」と見なされる比較的わずかな罰金へとつながり、幹部や取締役会に対する個人的な説明責任は(たとえあるとして)ほとんどない。これらの影響により、ギャンブルや法の回避に報いる報酬を受け取り、利害関係者や一般の人々を傷つけるときであっても個人的な代価を支払うことはめったにない個人たちによる無法状態が生まれる。そして、暗黙の補助金により、銀行セクター全体、特に最大の機関は、リスクを完全には反映していない特権的な資金を獲得し、スキャンダルや罰金を繰り返しても収益性を維持できるように見える。[16]

欠陥のある言い訳

金融の安定性の確保に永続的に失敗していること、および、より多くのエクイティに付随する費用・便益についての乱雑な議論は、政府や民間部門の個人全体の混乱と歪曲されたインセンティブに根ざすものである。この状況は、問題への関与を妨げ、欠陥のある主張(専門用語に関する目立たない​​混乱から始まり、不適切な仮定に基づいた微妙に誤解を招く主張や表明が続く)が広がることを可能にしている。たとえば、銀行の資金調達についての規制は「資本規制」と呼ばれているが、銀行は資本を「保有」または「脇に置く」と言われている。これは、エクイティにより調達された資金(そこには融資やその他の投資に使用される資金が含まれる)が、遊休現金または貸付に使用できない「万一の際の資金」であると誤って暗示している。この混乱は、融資とエクイティ資本との間の架空のトレードオフを即座に引き起こし、ロビイストが無意味な主張をすることを可能にする(たとえば、資本要件を増やすことは、「数十億ドルを経済から締め出すことになる」)。実際、より多くのエクイティがあれば、銀行は適切な価格で価値のある融資をより良く行うことができ、それをより一貫して行うことができる。

アドマティとヘルビッヒ(Admati and Hellwig 2015)は、議論の中でなされた31の明確な欠陥のある主張をリストにあげて、簡潔にその誤りを暴いている。アドマティ(2016、2017a)は、この状況を黙認または放置している多くの人(イネーブラー)の行動とインセンティブ、およびその結果として、民間部門、政策、メディア、学界の中にいる個人を含む危険なシステムについて説明している。銀行に関する学者は、重要なガバナンスの問題と市場の失敗(たとえば、コミットできないことによるもの)を無視し、そのシステムを受け入れ、それを変更するのはコストがかかるかあるいは実行不可能であると誤って想定することによって、市場が効率的な結果を生み出すという仮定に基づいたモデルを構築する際に、このイネーブラーの例となる。

金融危機についての誤解を招く物語の中には、それらが自然災害に似ており、したがって予防できないというものがある。この語り口は、予防ではなく、事故現場に救急車を送るのと同じように災害の準備へと議論を向ける。イネーブラーは、規制に反対する議論として、いわゆるシャドーバンキングシステムの成長をもたらした過去の規制の失敗についても誤解を招く形で使用している。さらに悪いことに、シンプルで費用対効果の高い規制が歪んだインセンティブに対抗するのに役立つにもかかわらず、規制当局は代わりに、極端に複雑な規制を考案してきた(そのうちの一部はコストを正当化するのに十分な利益をもたらさないかもしれないが、行動をしているふりをすることを可能にする)。

イネーブラーは、規制において「平等な競争条件」を維持し、「私たちの」国家の機関のグローバルな競争力と成功を確保しなければならないという主張をしばしば呼び起こす。しかしながら、金融危機以前のアイルランドとアイスランドの銀行の「成功」は、その納税者に多大な犠牲を支払わせることとなった。他の国が愚かにもそれを容認するとしても私たちが汚染を許すべきではないのと同様に、市民や他の人々を危険にさらす一方で銀行が成功するのを助けるために銀行業の無謀さを助成するのは悪い政策である。さらに、金融機関は、希少な人的資本を含め、経済の他の部門と競争している。その才能が他の場所でより良く使用される可能性のある聡明な個人を金融機関へと引き付ける能力は、追加の、そしてしばしば目に見えない市場の歪みと害を生み出し、不平等を悪化させる可能性がある。

結語

法律と規制は、金融部門にいる個人と、社会全般にとってより良いものとの間の相反を軽減するように設計されるべきである。一部の政治家、規制当局、公益団体、評論家、および学者の努力にもかかわらず、新しい規制は2007~2009年の危機の教訓を完全には反映していない。リスクと資源を効率的に配分することを目的としたはずの金融システムは、代わりに経済を歪め続け、公衆を危険にさらし続けている。銀行規制の混乱と政治は、変化への障害のまま残り続けている。[17]

政治家は、彼らの好む目的(政治キャンペーンや有権者にとって魅力的に映るような他のプロジェクトを含む)に対する資金源として金融機関を見る傾向がある。銀行業のリスクに目をつぶることは便利である。暗黙の保証は無料のように見え、銀行の無謀さを容認する政策立案者が政治的帰結に直面することはめったにない。業界とその多くのイネーブラーによってなされた多くの欠陥のある主張に大衆は混乱し、金利の低いクレジットを提供するという近視眼的な約束に引っかかる。多くを借りすぎると、特に低所得世帯に大きな損害を与える可能性があるが、貸し手自身の無謀さは容認されている。

要約すると、大規模な金融危機と規制改革にもかかわらず、金融システムはあまりにも脆弱なまま残っている。有力な個人は、脆弱性と規制の過度の複雑さの恩恵を受け、彼らはそれを維持しながら逃げおおせる。関係している人間たちの確立した利益とシステムの慣性を考えれば、変化は容易には起こらない。大きすぎてつぶせない組織の存続や多くの不正行為スキャンダルなどといった目に見える症状のいくつかに気づくことを超えた問題の根本原因を公衆が適切に理解すること、そしてさまざまな政策の選択肢の真のトレードオフを公衆が適切に理解することが不可欠である。

金融セクターは、企業統治と政治経済の結びつきにおける深くて広い問題の極端な例である。「株主価値」を最大化すると主張する企業は、政府が公共の利益のために行動するのに失敗した場合には、しばしば予防可能な損害を引き起こす。[18]

アナト・R・アドマティは、スタンフォード大学のジョージ・G・C・パーカー記念教授(金融および経済学)である。

脚注

*この小論は、包摂的な繁栄のための経済学(EfIP)の一連の政策要綱の一部として作成された。アナト・アドマティは、スタンフォード大学経営大学院の出身である。ダニ・ロドリックとグラハム・スティールの有益なコメントに感謝する。

[1] これらの主題に関する多数の文章およびその他の資料は、銀行の過度のレバレッジおよびリスクに関するこのウェブサイト https://www.gsb.stanford.edu/faculty-research/excessive-leverage および私の個人的なウェブサイト https://admati.people.stanford.edu/ からリンクされている。

[2] Admati and Hellwig (2013a, Chapter 3)を参照。

[3] また、債権者に利益をもたらし、企業の総価値を高めるような価値のあるプロジェクトを経営者が逃さないようにすることを、債務契約を通じて行うのは極めて困難である。

[4] Admati and Hellwig (2019)はAdmati et al (2018)に基づいている。Admati et al (2018)は、利害の対立と完全なコミットが不可能なことがどのようにして多額の借り入れへの「中毒」になるか、そして、その洞察がなぜ銀行業に特に関連しているのかを示している。

[5] 預金保険で保護された預金者は非常に受け身であるため、彼らは(銀行自身も)、彼らが実際に債権者であり、預金が銀行の負債の一部であることを忘れている。たとえば、ウェルズ・ファーゴ銀行の前CEOであるジョン・スタンフは、彼の銀行には多くのリテール預金があるため、多くの負債を持っていない、という馬鹿げた主張をした。また彼は、見出しにおいてウェルズ・ファーゴ銀行を「負債回避的」と呼ぶ記事の中で、「私が最も必要としないものは負債だ」と述べたと引用された。(最初の引用は、“Wells Chief warns Fed over Debt proposal,” Tom Braithwaite, Financial Times, June 2, 2013、2つ目の引用は、“Fed’s Disaster Plan Is Bitter Pill for Debt-Averse Wells Fargo,” Jesse Hamilton and Ian Katz, Bloomberg News, October 29, 2015)もちろん、ウェルズ・ファーゴ銀行が真に負債回避的であるならば、その利益を保持するか、新しい株式を売ることにより、負債を減らすことができただろう。これらの声明は、銀行がその極端な負債にもかかわらず、他の企業に影響を与えるような負担と市場の力を経験していないことを示している。

[6] レポ取引は担保付借り入れ、つまり担保を使用した借り入れと経済的に同等であるが、レポは貸し手への担保の同時「販売」と、将来のある時点で固定価格でそれを購入または買い戻すコミットメントとで構成される。米国の破産法のセーフハーバー(免責)条項の下では、借り手が破産(通常は債務請求を凍結する)に陥った場合でも、多くの金融セクターのレポ貸付業者は担保資産を所有することができる。

[7] 暗黙の保証およびそれらを推定するための取り組みのいくつかについての議論は、Admati (2014)およびGudmundsson (2016)を参照。

[8] Admati and Hellwig (2013, Chapter 5)およびEisinger and Partnoy (2013)を参照。

[9] たとえば、Haldane et al. (2010)およびTurner (2010)を参照。

[10] Singh and Alam(2018)は、現在の負債の測定は、貸借対照表外のエクスポージャーを適切に把握していないため、誤解を招く可能性があることを示している。著者らは、これらのエクスポージャーが金融危機の直前の2007年よりも大きいと評価している。

[11] Cochrane(2013)はこの答えの精神を捉えている。つまり、ダウンサイドリスクを株主が負担するために、もはや問題とはならないほど十分なエクイティを求めている。

[12] Roe and Troege(2018)は、銀行の債務に対する税の補助金によって生じる歪みについて議論し、銀行に特化した変更を提案している。

[13] Jorda et al. (2016)は、20世紀後半に銀行と家計が貸付金を通じて大きな債務を抱えるようになり、金融化の増加、先進国経済の脆弱性、そして景気循環の動態を理解する上で抵当貸しが重要になったことを示している。

[14] Morrison et al. (2014)は、レポのセーフハーバー(免責)ルールはより狭く適用されるべきであり、2005年の法律は廃止され、1984年のバージョンが引き続き有効であるべきであると説得力をもって主張している。Partnoy and Skeel (2007)およびJackson and Skeel (2012)も参照。これらはデリバティブの同様の破産処理についても説明している。

[15] ウェルズ・ファーゴ銀行の財務諸表を調査したEisinger and Partnoy (2013)は、多くの投資家と会計専門家が、大手銀行は「投資不能」だと述べたと引用している。Singh and Alam (2018)も参照。

[16] 無謀さのインセンティブについては、Admati and Hellwig (2013a, chapters 8, 9 and 13)およびAdmati (2014)を参照。2017年3月のCNBCの見出しは、罰金が「ビジネスを行うためのコスト」であるという考え方を捉えている:「金融危機以降、銀行は罰金で3210億ドルを支払っている(ただし、1兆ドル近くを稼いでいる)」(https://www.cnbc.com/2017/03/03/banks-have-paid-321-billion-in-fines-since-the-crisis.html)

[17] Admati (2017a)は、この分野のさまざまな盲点に適用される社会心理学の用語の一部を引用している(故意の盲目、集団的な道徳的離脱など)。システム正当化に関してはJost (2017)を参照。Pfleiderer (2018)は、経済学と金融におけるモデルの誤用について議論している。ビデオや図面がついたスライドプレゼンテーションなど、さまざまな長さの多くの資料が https://admati.people.stanford.edu/advocacy で利用可能である。

[18] Admati (2017b)を参照。

参照文献

Admati, Anat R., Franklin Allen, Richard Brealey, Michael Brennan, Markus K. Brunnermeier, Arnoud Boot, John H. Cochrane, Peter M. DeMarzo, Eugene F. Fama, Michael Fishman, Charles Goodhart, Martin F. Hellwig, Hayne Leland, Stewart C. Myers, Paul Pfleiderer, Jean Charles Rochet, Stephen A. Ross, William F. Sharpe, Chester S. Spatt, and Anjan Thakor (2010), “Healthy Banking System is the Goal, Not Profitable Banks,” Financial Times, Nov. 9.

Admati, Anat R. 2014. “Examining the GAO Report on Expectations of Government Support for Bank Holding Companies,” Testimony for hearing of Senate Committee on Banking, Housing and Urban Affairs Subcommittee on Financial Institutions and Consumer Protection, July 31, 2014.

— — — . 2016. “The Missed Opportunity and Challenge of Capital Regulation.” National Institute Economic Review, February, R4-R14.

— — — 2017a. “It Takes a Village to Maintain a Dangerous Financial System,” Just Financial Markets? Finance in a Just Society, Lisa Herzog, editor, Oxford University Press.

— — — 2017b. “A Skeptical View of Financialized Corporate Governance,” Journal of Economic Perspectives 31(3), 131–150.

Admati, Anat R., Peter M. DeMarzo, Martin F. Hellwig, and Paul Pfleiderer. 2013. “Fallacies, Irrelevant Facts, and Myths in the Discussion of Capital Regulation: Why Bank Equity Is Not Socially Expensive.” Working Paper (original draft August, 2010).

— — — . 2018. “The Leverage Ratchet Effect.” Journal of Finance 73 (1), 146–198.

Admati, Anat R. and Martin F. Hellwig. 2013a. The Bankers’ New Clothes: What’s Wrong with Banking and What to Do About It. Princeton University Press.
[『銀行は裸の王様である』、土方奈美訳、東洋経済新報社、2014年]

— — — . “Does Debt Discipline Bankers? An Academic Myth about Bank Indebtedness.” 2013b. Working paper.

— — — . 2015. “The Parade of Bankers’ New Clothes Continues: 31 Flawed Claims Debunked.” Working paper.

— — — . 2019. “Bank Leverage, Welfare and Regulation.” in Systemic Risk in the Financial Sector: Ten Years After the Great Crash, Douglas W. Arner, Emilios Avgouleas, Danny Busch and Steven L. Schwarcz, editors, CIGI Press, forthcoming.

Brunnermeier, Markus, and Martin Oehmke. 2013. “The Maturity Rat Race,” Journal of Finance, 68:483–521.

Cochrane, John H. 2013. “Running on Empty.” Wall Street Journal, March 1.

Gudmundsson, Tryggvi. 2016. “Whose Credit Line is it Anyway: An Update on Banks’ Implicit Subsidies.” IMF Working Paper 16/24.

Eisinger, Jesse and Frank Partnoy. 2013. “What’s Inside America’s Banks?” The Atlantic, January-February.

Haldane, Andrew, Simon Brennan, and Vasileios Madouros. 2010. “What is the Contributions of the Financial Sector: Miracle or Mirage?” The Future of Finance, the LSE Report.

Jordà, Òscar, Moritz Schularick and Alan M. Taylor. 2016. “The great mortgaging: housing finance, crises and business cycles” Economic Policy, 31 (85), 107–152.

Jost, John T. 2017. “A Theory of System Justification.” Psychological Science Agenda Science Brief.

Mian, Atif, and Amir Sufi. 2015. House of Debt: How They (and You) Caused the Great Recession, and How We Can Prevent It from Happening Again, University of Chicago Press, Chicago, IL.
[『ハウス・オブ・デット―銀行でもなく、国家でもなく、個人を救え』、岩本千晴訳、東洋経済新報社、2015年]

Morrison, Edward R., Mark J. Roe, and Christopher S. Sontchi (2014). “Rolling Back the Repo Safe Harbors,” The Business Lawyer, 69: 1015–1047.

Partnoy, Frank, and David Skeel. 2007. “The Promise and Perils of Credit Derivatives.” University of Cincinnati Law Review, 75. 1019–1051

Pfleiderer, Paul. 2018. “Chameleons: The Misuse of Theoretical Models in Finance and Economics.” Economica, Forthcoming.

Roe, Mark J. Michael Troege. 2018. “Containing Systemic Risk by Taxing Banks Properly.” Yale Journal on Regulation 35 (1), 181–231.

Singh, Manmohan, and Zohair Alam, 2018. “Leverage — A Broader View”, IMF Working Paper 18/62, International Monetary Fund, Washington, D.C.

Turner, Adair. 2010. “What Do Banks Do? Why Do Credit Booms and Busts Occur? What Can Public Policy Do About It?” The Future of Finance, the LSE Report.

この訳文はCreative Commons(Attribution, non-commercial, share alike)ライセンスにて公開していますが、これは訳文に対して適用されることを意図しており、元の文章のいかなる権利も侵害する意図はありません。問題がありましたら、可能な限り早く対応いたしますので、ご連絡ください。また、誤訳・不適切な表現等ありましたらご指摘ください。

--

--